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羊と鋼の森/宮下奈都(2015)

新聞の書評で見かけて、気になったので読んだ。

 

羊と鋼の森

羊と鋼の森

 

 

ピアノの調律師の青年の成長を描く物語だが、音楽を描く小説の常として、音は鳴らない。

マンガであれば感動する観客や、躍動感のある演奏で、その音楽の「凄さ」についてむしろ効果的な演出がなされることもある(『BECK』や『BLUE GIANT』あたりが想起される)が、小説ではそういったこともできない。普通に考えれば、音楽の豊かさを描くのは非常に困難なはずだ。

 

本書で代わりに用いられるのは、共感覚(シナスタジア)のような表現である。近時よく聞くようになった単語だが、時に、文字や音や数字に、色や景色や手触りを感じる人がいる。

共感覚 - Wikipedia

 

小説のほぼ冒頭で、主人公は、ある調律師が鳴らしたピアノの音に強烈な森を感じる。

 

これは音楽を描く小説として有効な技法であると同時に、小説の成り立ちにも由来するのだろう。

書評によれば、福井出身の作者が、北海道の自然の中で過ごした経験にインスパイアされて着想を得た作品ということなので、むしろそういったイメージから、そのようなイメージを想起するような音を文字で描く小説として出来上がっているからこそ、シナスタジア的な表現が多用されるのだと想像される。

調律師という職業は、フェルミ推定のお題でしか聞いたことがなかったが、よく考えれば、音について言葉でリクエストやフィードバックを受けながら仕事だから、その職業としての難しさや奥深さも上手くテーマに取り込まれている。

イベントやディテールを捨象して、人物の内面をひたすらに掘り下げていくことも小説が得意とする描写だが、本書も主人公の内面にフォーカスしていく。

そんな主人公が、言葉を額面通り受け取る(やや語弊があるが)少々アスペルガー的なのも、面白い。主人公の周りの人々が考えていることは何となく分かるのだが、主人公の受け取り方に、新鮮さ、みずみずしさを感じるのだ。

 

描き方は鋭く切り取るというよりは、水彩で塗り重ねるようで、本屋大賞になるのは何となくわかる。

さほど起伏のある話でもなく、ちょっと長い短編といった読後感だったが、十分満足したし、この人の本はきっとまた読むだろう。