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【ネタバレ】Route End 堂々たる完結っ!最終話「始まりの終わり」についての考察

Route End という傑作をご存知でしょうか?

ご存じでない方は、ぜひ全巻購入の上、このネタばれブログはそっ閉じしていただければ幸いです。

ROUTE END 7 (ジャンプコミックス)

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ネタばれ注意

 

 

 

 

ネタばれ注意

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1.完結に寄せて

 

さて、このブログでは、何度か Route End について考察や予想のレビューを書かせていただきました。

はじまりは、5月のこの記事でした。

toshikuro.hatenablog.com

 

ここに書いてある犯人予測は見事に大外れだったのですが笑、他に考察のサイトがあまり無かったためか、隔週土曜にこのブログへのアクセスも伸び、比較的多くの方に読んでもらうことができたようです。この場を借りてお礼申し上げます。

 

この傑作マンガが、ついに完結しました。

完結してしまいました。

率直に申し上げると、「これからどうしよう」というロスの気持ちが大きいです。

ただ、こういう唯一無二の作品を生み出してくれた、中川海二先生には感謝でいっぱいです。リアルタイムでJUMP+で読み続けた同志たちにもなんと言ったらいいか分からないけれど、感謝を伝えたいです。コメント欄を読むのも楽しかったです。

 

ここしばらくは、物語の謎というよりは、物語の強さに圧倒されていました。

殺人ではなく、自殺者の死体損壊だったと分かったときも、予想が当たった!とかより真人の悲しみに心打たれてしまいました。

 

ただ、この最終回は、なかなかに難解です

いくつかの謎は明かされたものの、大きな謎を残していった回だと思いますので、はなはだ無粋だとは思いますが、私なりの解釈を書いておきたいと思います。

 

 

 

2.明かされた謎

いくつか、明かされた謎を整理しておきたいと思います。この最終回の謎を考える前提にもなりますので。

まず、橘の謎が、橘の口から明らかにされました。

 

橘という存在の謎

橘の存在自体が謎でしたが、死ぬと裸で復活する男、ということでした。

死に方の如何を問わず、「50歳前半の少しガタが来ている体に」新しく生まれ変わるとのことでした。当然ながら記憶も引き継ぐようです。

その存在について、くしくも江崎が正確に語ります。

これがフィクションならあなたの存在は分かりやすい。差し込まれた超常的な要素は何かの象徴や暗喩だ

現実にそれがあったとすればそれは... まるで神のようだ

これに付け加えることは何もありません。

我々読者は、彼を何かの象徴や暗喩として受け取ることになりますが、あまりにリアルなこの物語における彼の必然性を考えるときには「神のような存在」としても受け入れざるを得ません。

 

彼がいつから蘇りを続けているのかは不明です。

これまで何度も何度も出会い

見送ってきた

と、語る彼の表情からは、相当の年数であるように見えます。それにもかかわらず、絶望や虚無に陥ってないように見え、自殺も一度しかしたことが無いと言いいます。それについて江崎は、

死が内包されているされている故に

あなたは心を失わずにいる

と分析します。これもまた難解なセリフです。

単純な不老不死ではなく、

  1. 老年の始まりからスタートして
  2. 死に向かって生きて
  3. 死んで
  4. 最初に戻る

というサイクルの中に死を内包していることが、

永遠の生にも関わらず、絶望せずに心を保つことができている理由になっているのだろうという分析かもしれません。

 

橘の行動の目的

橘の行動の目的は謎でした。

関わる人間に対して、どういう感情を持っているのか。

 

別れがある度に涙を流す

小田*1 も加藤もそうだ

 

愛するのは容易く

愛し方は難しい

 

加藤がゆっくりと再生する場所がアウンだ

太慈も柳女も

上手くいっていた 

 

橘は、関わる者たちを愛していました。

そして、傷ついた者たちには、再生の場所を与え、安定へ導いていました。

 

個人的には、荒んでいた太慈にかけた言葉*2等が嘘でなかったことに、心から安堵しました。

 

そして、彼の愛は常人の愛とはやや異なります。

そこにゲーム性がある

と言った時の橘の顔、見ましたか!!?

超怖いです笑

 

三つ子B&Cの指紋一致という橘の謎の真実に迫りかねない事実を、資料改ざんの結果であると偽装するために、菊田巡査長を強請り、自殺を装って殺してしまった*3 非情さを忘れることはできません。

彼にとって自分の正体を知られないことは非常に重要なようです。

第25話で自分の生存を明かしてまで柳女を救いつつ、太慈を含め口外すれば

お前を殺さないといけなくなる

と言っていたのも恐らく本気でしょう(顔がマジだったし...…怖い……)

 

なぜENDを騙った?という大きな謎の答えも、

真人を救うためだった、ということになろうと思います。

 

それは、橘の考える救いではありますが、
太慈の弟であり、
子どもの頃に起こした無差別殺人について、自らが被害者となったという奇縁ある存在である真人に向けた、彼なりの思いだったようです。

三度殺され、加藤を殺され(そう誤信させられていた)、拷問されても、獄中ではなく、日常の生活の中で安定に向かうことができるように導くつもりだったようです*4

 

橘の誤算

真人を救うために偽ENDとなった橘ですが、そこでの誤算について、橘が語ります。

誤算は

女刑事の怪力と

君(江崎)の役割に気付いていなかった事だ 

 と、あります。

女刑事の怪力とは、太慈と真人を襲った時に五十嵐にDNAを取られたことをきっかけに、警察に橘Bや白骨死体とが同一DNAだと知られたことでしょう。(その後、Cとして殺されて死体が警察にわたったことで、Bと指紋が同じと分かってしまったことはより大きなピンチだったでしょうが。)

江崎の役割に気づかなかったというのは、江崎が患者を自殺に導き、真人が死体損壊するという事件の真相にずっと気付くことができなかった*5ことです。

 

 

3.最終話の謎

江崎はどうなったのか

最終話の謎は、結局、橘は江崎をどうしたのか だと思います。

殺したと考えるのが自然でしょう。

終わらせるにはそれが一番良い。

 

警察は、江崎が死んだという前提で動いています。

その根拠は、致死量の血痕が発見されたことと、血液は江崎のものと断定されたことです。カウンセリングの予約と署名付き怪文書により、犯人は川上という異常者ということになっています。

ただ、もちろん、これは偽装の可能性があります。

血液については、輸液を行うことで、致死量を抜いても生きることが可能です。死体の一部すら見つかっていない状況では、むしろ江崎の生存を示しているように見えます。

ただ、江崎が生きているとして、生きて橘と何をしているのでしょうか。

それが問題です。

 

江崎という男

江崎は良く分からない男です。彼の謎は、橘より多く残されたと言え、想像で補うしかないところがあります。

ともあれ、彼は、患者を死に追いやった方法論を開陳します。

 

どんな価値観も重さは自由自在に変化する

普通ため込んでいる悩みは他人に話すと それだけで軽くなる

それを逆に重くなるように会話を進める

悩みをひとりの個として受け止めるのではなく

共感して肯定して

溶け合う

倍になる

悩みの価値は増す

重くなる

彼らは共感に安心感を得ながら

しかし悩みは重くなっていく

独自の価値が重みを増すほど

世界とのズレによる孤立感も深くなる

私に依存していく

私だけに

そして最後に彼らは悟る

私が彼らにとって無力だと

 

悪魔のカウンセリング、恐怖のレシピですね。 

絶望の中で助けを求めて縋ったプロが、悪意とテクニックでもって操ってきたら我々になすすべはあるのでしょうか。

続けて、江崎はこう言います。

 

本当に神なら

私はあなたと

溶け合うよりも対となれるだろう

 

読者の皆様は当然 あの謎の第30話「健やかなる」を思い出したでしょう。

精神科医 阿久津が、かつて幸福に健やかに育てられた過去を持つ異常殺人犯を探し、見つけられたなかったと語るシーンです。

 

江崎:なぜそんなことを調べたんです?

阿久津:純粋な悪がいたら面白いじゃないですか

    健やかなる悪がいたら

江崎:いたら奇跡でしょう

   唯一神の真逆

   対となる悪魔だ

 

彼は、対となる神を求めていた、そのような関係に憧れていたように思います。

勝手に神社を作って、神主を名乗っていたのも、今から考えれば対となる神を自ら形にしていたのかもしれません。

御神体は、長く伸ばした自分の髪の毛*6。生と再生の象徴です。 

 

連理という名前も、対を意識したものです*7

メタ的には、著者のメッセージでしょうし、江崎が自身で名乗った変名の可能性や、名付けた親の思いが成育歴の中で彼に影響を与えた可能性もあります。

 

 

私の結論

私としては、彼らはこの物語からは消え、どこかでお互いに向き合うことにしたのではないかと思っています。

江崎は、心を失わずにいる橘を絶望に引き込むために、悪魔のカウンセリングを行います。 それは偉大な神への悪魔の挑戦であり、彼が望んだ相克でしょう。これは、江崎の言動から、ある程度理解可能ではないでしょうか。

 

一方で、橘は、江崎を救おうと試みるのではないでしょうか。

橘は、善悪について独自の基準を持っており、加藤を殺したと言い自分を拷問する真人を救おうとしていました*8。多くの者を死に導いたことを、橘が倫理感から咎めるとは思えません。むしろ江崎の動機に興味を寄せています。

 橘が江崎に対して、君の人生は?と問うた時、それは動機を問うていたと思います。

これに対して、江崎は。

私に人生など在りはしない 

と断言します。結局、江崎の 動機 は語られませんでした。動機はない、という答えなのかもしれません。江崎が、健やかに育った、健やかな悪なのか。一切、分かりません。

ただ、橘はこれに

素晴らしい

と応じました。 

橘は、人を愛し、救うことに ゲーム性 を見出していました。

江崎は、強敵です*9。ゲームとしてはこれ以上ない課題と言えるでしょう。

 

方法は分かりません。ただ、ゲームルールを合意によって形成し、どこかの町で奇妙な戦いを行い続ける二人の姿が浮かびます。

物語の本筋からは離れたものですし、後味の悪さはあるかもしれませんが、

そんな終わり方も、悪くないと私は思います。

 

メタフィクション的エンディング説

JUMP+ のコメント欄では、メタフィクション的なエンディングだと受け取る人が多かったように思います。

橘と江崎は、自分がフィクションの登場人物であることに気づいている

というものです。面白いと思いました。

奇手ではありますが、手法としては十分あり得るものですし、超常的な存在である橘をうまく織り込んで収束させられるとも思います。

作中で江崎が

この物語の中でなら

と述べ、橘がそれにハッと何か気付くようなリアクションをしている点は、それを示唆しているようにも見えます。

 

ただ、その前に、江崎が 

だがこれは現実だ

と断言していることを乗り越えられないように思われるため、個人的には与しません。

この断言は、メタフィクションの明確な否定だと感じています。

また、メタフィクションだったとして、橘や江崎がフィクションの外に働きかけるようなメタ的な言動*10をしていない以上、橘や江崎がフィクションの住人だと気付いていたとして「そうだとして、だから何?」ということにならざるを得ない気がします。

 

ちなみに、江崎が「この物語の中でなら」との言った意味は、私には分かりません。

この物語の中でなら、対となることができる という意味なのか

この物語の中でなら、対となることはできないだろうが、別の物語でならできる という意味なのかすら分からない。

前者の場合、これまで続いてきたEND事件というドラマ・物語の流れも含め、その延長線上であればあれば、江崎が橘の対のような存在となることが可能になるということだろうし、

後者の場合、END事件や江崎のこれまでの生活といった「この物語」は終わらせて、また別の町で別の物語を始めれば、あるいは可能になるかもしれないということでしょう。

直後に、橘が江崎の人生を問うたことから、個人的には後者なのではないかなと思っています。

 

4.分からないのが面白い

いろいろ勝手に妄想しました。

ただ、これは映画『インセプション』の最後のシーンで回り続ける独楽のようなもので、江崎が死んだのか、どこかで生きているのか、結局分からないところに面白みがあるように思います。

第8巻には後日談が挿入されるとのことですが、その中でも、江崎の生存がにおわされつつ、明確な描写は無いのではないかと想像します。(もちろん、明らかにされるのも大歓迎)

今はただ、太慈、五十嵐やその周りの人たちに救いのある日常が訪れていることを祈っています!!

 

江崎と真人の物語、そして橘の物語、描かれていない物語はたくさんあって、それを全部読みたい気持ちはあるけれども、中川先生の次回作を読みたいという気持ちも同じくらいあります。

次回作、今から本当に楽しみですね。どんな作品と出会っていくことになるのか。今から恐ろしいような気持ちです。笑

 

感想めいたことを長々と書きましたが、お付き合いいただき、ありがとうございました!!

 

それでは~~。

*1:小田は、4人目の被害者の小田慎太郎さんです。第46話で、橘(アウン社長時代)を神と呼び、白骨死体(真人に殺された橘A)を取り上げられることに取り乱した姿が表れています。小田の死により、橘はENDの存在に気づきます。

*2:第3話の回想参照

*3:第27話、第28話参照

*4:第49話

*5:第49話で、三つ子Cとして真人に拷問されている時にもまだ気づいていないことが明かされています

*6:第17話

*7:比翼の鳥、連理の枝という有名な一節に因むものと思います

*8:第49話

*9:そういえば、最終話一つ前のJUMP+のコメント欄にラスボス対ラスボスというのがあって、上手いこと言うなあと感心しました

*10:読者に語りかけたり、「ページをめくる」といったフィクションを前提とした発言をすることを想定しています